六義 園とは。

六義 園とは

六義(りくぎ) 園とは
東京都文京区にある由緒正しい庭園です。
六義 園について紹介します。

  

六義 園

《六義園》:(園名は和歌の六義による庭園配置から)東京都文京区本駒込六丁目にある都立の公園。元禄一五年完成の柳沢吉保の下屋敷の庭で、中央に池・中島を配した池泉回遊式庭園。明治初期に岩崎家の所有となり、昭和一三年東京市に寄付された。特別名勝。1695年に、5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が綱吉から賜った地に下屋敷を造りそこに造成した庭園です。『詩経』の六義(りくぎ)から園名が名付けられていて、御殿を六義館、庭園を六義園と称しました。江戸初期に完成した桂離宮の庭園の様式を採用し、回遊式築山泉水庭園で、元禄時代の明るいおおらかな気風を反映した江戸大名庭園の代表的なものです。
《六義》:和歌における六種の体。そえ歌・かぞえ歌・なずらえ歌・たとえ歌・ただごと歌・いわい歌の総称。「古今集」で「詩経」の六義を和歌に適用していったもの。 転じて、和歌。
《柳沢吉保》:元禄時代、江戸幕府の老中。甲府藩主。綱吉が館林侯であった時から仕え、将軍となると小納戸、側用人となって活躍し、川越城主から甲府一五万石に栄進。綱吉の生母の信用をも得、儒者荻生徂徠、細井広沢らの知識を活用して元禄時代の文治政治の推進を行った。(一六五八〜一七一四)


六義 園の由来

六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園である。ろくぎえんは誤読であるので注意。徳川5代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保の下屋敷に、吉保自らが、和歌の世界を庭園で表現しようと設計、開園させたものである。平坦だった当地に丘や池を掘り完成させ、現在に至ってもそれが見事に表現されている。芝生なども整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として観光客も多い。六義園の名の由来は、中国の『詩経』に分類されている詩の分類法を和歌に適用させた紀貫之の『古今和歌集』の序文にかかれている「六義」(むくさ)に因む。当初は、六義園と書いて「むくさのその」とも呼ばれていた。柳沢吉保は、この『古今和歌集』に出てくる和歌を庭園で再現しようとしたものであった。この庭園は、完成当時は、小石川後楽園と並び二大庭園と称された。しかしその後、代々柳沢家の別荘として使用される程度で徐々に荒廃していたが、明治期に岩崎弥太郎(三菱の創業者)が購入、1938年に後に東京市(現:東京都)に寄贈され、一般にも公開されるようになった。殊に、ツツジの花は有名で、駒込=ツツジの花の街というほどの、象徴的な存在となった。


六義 園の歴史

○1695年- 柳沢吉保が綱吉より、当地を賜る。
○1702年 - 庭園と下屋敷が完成。
○1888年 - 岩崎弥太郎が、購入。
○1938年 - 東京市に寄贈される。
○1953年 - 名勝に指定される。

六義 園について

心泉亭(集会所) ・宜春亭(茶室)・ 中央にあるシダレザクラ ・妹山・背山 ・藤代峠・ 池・ ツツジの花 ・ツツジ茶屋などが主な見所。
○入園料
・一般及び中学生 300円(但し、都内在住の中学生は無料)
・65歳以上    150円 中学生未満は、無料。
その他、各種割引・減免制度・年間パスポートなどあり。
○アクセス
・JR山手線または地下鉄(東京メトロ)南北線の駒込駅より徒歩7分
・都営地下鉄三田線の千石駅より徒歩10分
・開園時間:午前9時〜午後5時(時期により延長することがある) ・駐車場は、なし。

庭園としての六義園も有名だが、六義園の周囲はジョギングのコースとしても知られる。1周1280mと手ごろな距離であることや途中に信号でさえぎられる事がないのが人気の秘密。朝夕は何人ものジョガーやウォーカーに出会う。毎年11月には、文京区の区民マラソン大会がこの六義園外周と六義園グランドを利用して開催される。



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